豚の年

ニュースで久しぶりに「豚コレラ」 swine fever が話題になっていた。知らない言葉ではないが何となく耳慣れない感じがすると思ったら26年ぶりだそうだ。豚インフルエンザ swine flu のような人獣共通感染症 zoonosis ではないので人にうつる心配なはい。

それにしてもせっかく来年の干支なのに、気の毒なことだ…、なんて書くと「いやいや、猪でしょう」と突っ込まれそうだが、実は日本以外の干支がある国々では year of the pig なのである。西遊記の猪八戒が豚の妖怪であることからも分かるように、本家中国では猪は豚を意味するのだ。では豚は?と思ってGoogle翻訳にかけてみたらイルカだそうな。ついでに河豚(フグ)と入れてみたらフクロウだと教えてくれる。ややこしくなってきたのでこの辺でやめておこう。

子供の頃豚の貯金箱を持っていた方も多いと思うが、一般的に貯金箱は豚の形をしていなくても piggy bank と呼ぶ。もともと pygg と呼ばれる粘土で作られた壺に小銭をためていた習慣から貯金箱が生まれ、その後、音から派生した豚の形がポピュラーになったらしい。おんぶや肩車は piggyback だが、これは語源がはっきりしないながらもどうやら豚とは関係ないようだ。

豚に真珠 casting pearls before swine なんていう聖書由来の諺があるせいでお馬鹿さんの印象が強く、pig-headed と言ったら頑固なへそ曲がりのことになってしまうが、最近の研究でひょっとすると犬より賢いかもしれないと言われるようになってきた。チンパンジー、イルカ、ゾウなどに加えてブタも鏡像認識 mirror self-recognition ができる動物として確認されている。ヒトの子供は2歳くらいで鏡に映った自分を自分だと認識できるようになるそうだ。

賢くてきれい好きで躾がしやすいとミニブタ・マイクロブタはペットとして人気が高まっているそうだが、うっかり食べさせ過ぎると160キロまで巨大化した例があるそうなので注意が必要かもしれない。

(「毎日フォーラム 日本の選択」2018年12月号掲載)

ロシアの目立ち方

アカデミー賞長編ドキュメンタリー部門にノミネートされたIcarus「イカロス」に登場するモスクワ・ドーピング検査所のグレゴリー・ロドチェンコフ元所長はロシアの国ぐるみのドーピングの黒幕mastermindで、何と学生時代からperformance enhancing drugスポーツ選手が使う違法薬物を作る研究をしていたという筋金入りだ。身の危険を感じて国外に逃亡中の彼がインタビュー番組にメイクで変装しシャツの下に防弾チョッキを着こんで出演しているのを米国出張中に偶然目にしてしまった。

その説明によるとソチ五輪のドーピング検査を行っていた施設ではセキュリティゾーンとノーマルゾーンが隣り合っていて、境界線にある二つのラボの壁には検体容器を通す穴が開けてあった。普段はキャビネットで隠されていたというなんとも原始的な建物側の仕掛けと、世界ドーピング防止機構WADAが誇るtampering-proofいったん閉めたら絶対開かず壊すしかない検体ボトルの開け方を開発してしまったロシアの「天才」達の組み合わせで、前代未聞の規模の不正が行われたのだと言う。

結果、過去最多のメダル獲得数で日本中が大いに盛り上った平昌五輪でもvisibly absentその不在がなんとも目立ったのがロシア国旗だった。国自体の資格停止に個人資格で出場できた選手たちはオリンピック旗を代わりに背負いながらどんな思いでいたのだろう。不正を働いて手に入れたメダルにその国はどんな価値を見出していたと言うのだろう。

2年前に行ったモスクワは壮麗な伝統建築と近代的なビル群が隣り合う明るい街でそこに住む人からも共産主義の暗いイメージなどもはや感じなかったのだが、その後、その時のホストである業界団体が呆れたことに会費の不払いですったもんだの挙句国際組織のメンバー資格を失ってしまった。大統領が国を挙げての不正を指示する国ではどうやらまだ世界の常識は通じないらしい。

(「毎日フォーラム 日本の選択」2018年3月号掲載)

責任放棄と優しさと

責任放棄と優しさと

 年明けに札幌の実家に帰省したのだが、1週間もいると普段東京で暮らしている時にはついぞ使わない北海道弁がなんとなく戻ってくる。最近出来るだけ歩くことを心掛けているので、出かける用事がない日でも実家の周りの雪道を散歩していたのだが、母がすっかり東京暮らしが長くなった娘を心配してくれる。「ちゃんと手袋はいたかい?」「大丈夫、はいたよ。」そう、北海道では手袋は靴下やズボンと同じように「履く」ものなのだ。体の一部を上から下に向けて身につけるからかしらと思う。数え方も一足、二足だ。

 インクの切れたボールペンを「まだ書かさるかと思ったけど駄目みたい」と言う時の「~さる」も独特の表現だ。炊飯器のピー音に「ご飯、炊かさったみたいだからもって(よそって)」など、自分が能動的に関与していない結果を説明するのに使われる。PCのマウスやカメラのシャッターがうまく「押ささらない」とか、逆にポケットに入れていた携帯が「押ささって」電話が「かからさっちゃう」こともある。ただ自分が書いたのに「なんか変に書かさっちゃった」と言い訳するのは意図していないことが起こってしまった、不可抗力だと言っているようなものだから、責任転嫁や放棄に便利な言い回しだと言われることもある。

 母が洗って水切り籠に入れてあった食器を拭きながら片づけていたら汚れが落ちていない小鉢がある。年齢から握力も弱くなってきているのだろう。洗い直しているところを見られてしまったので「なんかこれ、きれいに洗わさってなかったからね」と説明しながら、相手のせいにもしなくてすむ、本当に便利な表現だと気が付いた。書類の表の見栄えが悪いのを指摘するのに「変なところに線が引かさってる」と、あたかもコロポックルがいたずらでもしたかのような物言いをするのが北海道人なのだ。あんまり便利なものだから意識していないとついつい言わさってしまいそうだ。

(「毎日フォーラム 日本の選択」2018年2月号掲載)

犬が食べちゃった?!

戌年という事で面白かったり可愛いかったりのワンちゃん動画が色々と話題になっているようだが、その一つがアラバマ州の警察署で屈強なお巡りさんと一緒に腕立て伏せ push-ups をする警察犬。「伏せ」「立て」を繰り返すシェパードに二人の警官が合わせているだけなのだがそのシンクロ具合が絶妙で全員の強面ぶりと相まってちょっといい味を出している。

署内での彼らの所属が K-9 Unit、犬、イヌ科を意味する canine のごろ合わせでアメリカでは警察犬部隊を一般的にこう呼ぶ。ちなみにこうした数字を使った略語は広義の numeronym と呼ばれる。World Wide Web Consortium の略称が W3C なのもこの例だ。

人類の最も古い友たる犬だけに成句も多い。The dog ate my homework. は宿題を忘れた子供の誰も信じない言い訳。準備不足の部下や同僚に Don’t tell me the dog ate your homework.「しょうもない言い訳は通用しないよ」のように使える。喜びを隠せないほど嬉しそうな様子を茶化す like a dog with two tails は犬が尻尾をぶんぶん振り回す様子が想像できて面白い。同じ尻尾でも the tail wagging the dog は「尻尾が犬を振る」という逆転現象、つまり本末転倒だ。釈迦に説法の犬バージョンが teach a dog to bark、ただし、面と向かっては使わない方が良い。

「鉄は熱いうちに打て」「矯めるなら若木のうち」に近いのが You can’t teach an old dog new tricks. 老犬に新しい芸は覚えられない、と言う訳だが、実はこれ、必ずしも正しくはないようだ。成犬の方が集中できる時間も長く子犬より躾けやすいのだと説明するドッグトレーナーがいた。また、新しいことを覚えるのに時間はかかるものの、老犬の方がその後の推論、応用に優れていたという研究結果もあるという。人生百年時代ともいわれる今、人間もいくつになっても学び続ける姿勢が必要なのかもしれない。「もう歳だから」は a dog-ate-my-homework excuse になりつつある。

(「毎日フォーラム 日本の選択」2018年1月号掲載)

アクティブ・ラーニング

かつて教えていたことのある英語の専門学校では毎年生徒のスピーチコンテストを開催していて、スピーチ経験のない多くの講師が指導にずいぶんと苦労をしていた。教えられない講師が悪いのではない。英語が教えられるのならスピーチ作りも教えられるという誤った思い込みをしている雇用者が悪い。まずはその教え方を講師に教えなくては何も始まらない。だから本気で企業研修に取り組む企業はトレーナーを育てる Train-the-trainer 研修にも力を入れている。

ある高級車ブランドはディーラーの営業や技術の人材を育てるトレーナーの育成を体系的に行っている。トレーナーたちはまずイギリスの研修専門の会社が開発したモジュールを用いた3~4日間の研修を受ける。そこで学んだスキルをその後の半年間実践して習得する。その後2度目、3度目の研修を半年ごとに繰り返し最後に4度目の研修で認定を受けてようやく終了、まるまる2年間のプロセスだ。

トレーナーが習得を目指す手法が最近日本でも話題のアクティブ・ラーニング。「教える」のではなく様々な手法を駆使して「能動的に学んでもらう」と言う学習者主体のアプローチだ。テーマの導入、参加者のアクティビティの設定と説明法、その結果の発表とその間のディスカッションの進め方、最後のまとめのキーメッセージに至るまで、細かいノウハウがぎっしり詰まったメソッドで微に入り細を穿つ丁寧な指導が行われる。最後の認定では模擬セッションを行うトレーナーにこれまでの学びが生かされなかった箇所が指摘されさらに改善のアドバイスが提供される。

プロの研修を4回受け2年かけてもそうなのだ。決して簡単に身につくものではないし教える側にも深い理解と経験が必要だ。新学習要領によるとアクティブ・ラーニングが2018年から小中学校でも導入されるそうだが、それを主導する教員に対するトレーナー研修は十分な質と量が提供されることを切に願う。

(「毎日フォーラム 日本の選択」2017年12月号掲載)